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ヨガを理解するために知っておきたい言葉

言葉からヨガ哲学の基本を知る

 

ヨガって何? といった“そもそも”が書かれているのが『ヴェーダ』と呼ばれる聖典の数々。その中でもまずは『タットヴァ・ボーダ』という聖典を学ぶと、一つひとつの言葉についても理解がしやすい。

 

最初に『バガヴァッドギーター』や『ヨーガスートラ』を読んで、難しい…と思う人も少なくないが、これらはいわば応用編。『タットヴァ・ボーダ』は、一つひとつの言葉をマントラでチャンティング(唱えること)しながら理解していく。日本人にとっての『ももたろう』のようなやさしい内容なのだ。

 

ヨガの目的は、「アンタッカラナシュッディ」といって、アンタッカラナ=考え・心、シュッディ=それをクリアにしていく、浄化していくという意味。アンタッカラナを直訳すると、〝一番内側にある道具〞だ。

 

この宇宙にはいろいろな神の力、見えない法則が働いていて、その力によって実際に今目の前に現れている世界を、ヨガ哲学ではイーシュヴァラ(生きた宇宙)と言う。その生きた宇宙を私達それぞれに認識させてくれる内なる道具が、「アンタッカラナ」だ。

 

人も物も、空間も考えも、イーシュヴァラではないところがない。みんな生きた宇宙の一部。そう考えると、自分とつながっている周囲との調和や自然を大切にするようになる。心を浄化していく、というのはつまり、そうした考えにより近づいていくことなのだ。

 

このことをより深く理解するために知っておきたい言葉を次に解説していく。

 

“私”と宇宙の関係を教えてくれる言葉

 

ヨガ哲学における宇宙を学ぶ時、知っておきたいのが、「プルシャ」と「プラクリティ」という二つの言葉。「プルシャ」は空間も時間も存在も超えた全宇宙で、質を持たず、この世界が移り変わっても常にそれを「見ている」目撃者。

 

「プラクリティ」は、「マーヤー」とも言われる“質の源”。質を持たないプルシャがプラクリティを使って現した世界と、さらに、それをも含んだプルシャそのものをイーシュヴァラと呼ぶこともある。

*プラクリティ/マーヤー

 

「プラクリティ」は古代インド哲学の一つ、サーンキャ哲学の言葉で、マーヤーとも言われる“質の源”。質を持たない「プルシャ」が、「このプラクリティ(マーヤー)」を使って「イーシュヴァラ(生きた宇宙)」を現す。

 

イーシュヴァラには物質に限らず空間や考え、人と出会う法則といった目に見えないものも含まれる。

 

生きた宇宙の中で、すべてのものは必ず何かに支えられている。自然は太陽がないと、太陽は空間がないと存在できないように、人間も自然がなければ存在できない。それが理解できると、支え合っているものへの感謝が生まれてくると思う。

 

 

*プルシャ/ブラフマン/アートマン

 

プルシャは、“何の質もない意識”のこと。「イーシュヴァラ」と呼ばれたり、「全宇宙」、「真我」と訳されることもある。

 

空間や時間すらも「プルシャ」がなければ存在できず、世界が移り変わっても変化しないのが「プルシャ」。あらゆる創造の「目撃者」とも言われる。

 

「プルシャ」はサーンキャ哲学の言葉で、それと本質的に同じ意味の言葉に、「ブラフマン」、「アートマン」がある。「ブラフマン」は宇宙原理そのもの、「アートマン」は個人という視点から見た宇宙。最終的に宇宙と個人が一体になることがヨガの境地であるため、二つは同じ意味を表している。

 

ヨガ哲学における“心”を知るための言葉

 

心全体を「アンタッカラナ」と言い、日本語では「考え」と訳す。単に「考え」という意味の他に、泣くなどの「反応」、痛いなどの「感覚」も含んでいる。「アンタッカラナ」は、個性の異なる四つの心の状態が機能し合ってできている。

 

“心のもと”と呼ばれる「チッタ」は直訳すると「記憶」、その記憶が影響してマナス(揺れる心)、ブッディ(考えの定着)、アハンカーラ(エゴ、自分の認識)の三つの心の状態が生まれ、これら四つで「アンタッカラナ」は構成されている。

 

ヨガの目的である「アンタッカラナシュッディ=心の浄化」とは、この「アンタッカラナ(=考え」を、呼吸法やアーサナなどによって、より利己的でない、地球や宇宙の法則と摩擦しない方向に変えていくことなのだ。

 

アンタッカラナ(=心、考え)を構成する四つ

 

*チッタ(=記憶)

 

チッタは、直訳すると記憶という意味。記憶がなければ「マナス」、「ブッディ」、「アハンカーラ」の機能も働かない。例えばアハンカーラは記憶をもとに「自分とはこういう人だ」という認識をする。その意味で、「チッタ」は心のすべての働きの源であり、影響を与えている。

 

*マナス(=揺れる心)

 

お腹が空いた、外が暗くなってきたなどいろいろなことに気づける心。アンテナ的な働きをする。心が揺れ動くことは一つの大事な機能でそれがあるから人の気持ちに気づくこともできる。「家の鍵を閉めたか?」など迷っている状態、腑に落ちていない状態もマナス。

 

*ブッディ(=考えの定着)

 

腑に落ちていない状態のマナスに対し、ブッディはそれが腑に落ちて、考えとして定着していること。例えば「私は女性である」、「3人家族である」、といった明らかに答えに迷わない状態のことだ。これも「チッタ(=記憶)」が基になっているのがわかる

 

 

*アハンカーラ(=エゴ)

 

「私は日本人」、「この考えが自分」といった、自分はこういう人だと認識している状態。

赤ちゃんは最初、「アハンカーラ」がない。自分と世界との区別がない状態から、まずお母さんと自分が分かれていると知る。次第に認識がまとめられていく「自分」を「アハンカーラ」という。

教えてくれた人=谷戸康洋

やとやすひろ。山梨県のヨガスタジオ『fika』を拠点にアーサナヨーガ、ヴェーダーンタ、サンスクリット語クラスを全国、オンラインで開催。指導者養成、メディア監修、イベント出演などさまざまなシーンで幅広く活躍する。instagram:@yasuhiro810

 

イラスト=macco 文=Yogini編集部

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