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ストレッチになくてヨガにあるもの

ストレッチとヨガはまったく異なるもの

よくストレッチとヨガを同一視される。同じように体をほぐして緩めていくからだ。しかし、ヨガのポーズ(アーサナ)は体をほぐすだけではなく、鍛えることも入っているし、またこれ自体は、ヨガの中のほんの一部分でしかない。ヨガの全体を俯瞰すれば、ヨガがストレッチとはまったく異なるものだとわかる。ここでは何が違うのかを説明しよう。

ヨガがヨガであるには、以下の四つが欠かせない。

 

01 ゴールがある

ヨガというとポーズのイメージが先行しているし、実際にポーズを行っている人が圧倒的に多いので、ヨガは体のためのものと思われているが、ヨガはもともと心を扱うメソッドだ。ポーズは、心をコントロールするための準備。ポーズは、ヨガのメソッドの一部分でしかない。

では、なぜ心をコントロールするのか。それはヨガのゴールへ向かうためだ。ヨガをヨガたらしめいているのは、このゴールがあるからなのだ。

ヨガのゴールとは、「本当の自分」に戻ること。ヨガでは、「自分」を、すべてを理解し大いなるものと同等の「本当の自分=真我」と、それを取り巻く「自我」の二つから成ると考える。心も体も意識も「自我」に所属し、病気になったり、心が傷ついたりするのは「自我=自分」。一方、「本当の自分」は病気になったり傷ついたりすることはないと捉える。だから、本当の自分に戻る(気づく)ことで、あなたは傷つかない、常にハッピーな存在だとするのだ。ヨガはこのハッピーな存在である自分に戻ることがゴール。そのために、ポーズや瞑想、呼吸法、そして生き方など、さまざまな角度から自分と向き合っていく方法を用意している。

 

02 長い歴史がある

史学的には、瞑想やヨガ哲学の発祥は約5000年前のインドと言われている。しかし、インドでは何万年も前からあるとする修行者も多い。とにかく長い歴史があるのだ。伝承は口伝によったが、それを補完するために教典が書かれるようになり、さらにその解説本なども生まれ、さまざまな修行者がヨガのゴールを目指してきた。そして、19世紀に入り、現在に至るハタヨガのスタイルが定着すると、徐々に世界中へ広まっていき、今のように用途に合わせてカスタマイズされていった。ヨガは「つながる」というもともとの性格上、さまざまなものとつながり、形を変えていくことができるので、あちこちで「いいとこどり」が行われ、根づいていったと考えられる。

 

03哲学がある

ポーズをたくさんできるようになることもヨガの楽しみの一つだが、ヨガが深まると哲学を学ぶのも楽しみになり、またそれは生き方に通じていく。ヨガの哲学は、もともと古代インドで花ひらいた哲学ブーム(六派哲学)のうちの、サーンキャ学派とヨーガ学派が融合されてできたものだ。そのうちの一つの教典が『ヨーガスートラ』。『ヨーガスートラ』には、ヨガのゴールや目的、そこへのたどり着き方、そもそもの考え方、ゴールへたどり着くまでに起こり得ることなどが書かれている。つまり、どう生きるべきなのかというヨガ的な思想が記されている。ヨガを行うのは、よりよく生きることを学ぶと同義ということになる。

 

04目に見えないものの存在

ヨガを宗教と同一視する人は、この目に見えない存在が出てくることへの嫌悪感からかもしれない。ヨガにとって目に見えない存在は、なくてはならないものだ。プラーナチャクラナーディなど“古代の解剖学”とも言われるものは、現代医学では存在しないとされる。しかし、科学の発展とともに、“ヨガの科学”も量子力学のテーマとして扱われるようになり、徐々に「目に見えないが理解できるもの」に変わってきている。ヨガは体験的なメソッドではあるが、そこに何千年という時間と、数え切れないほどの体験例があるので、目に見えないものもそのうち解明されるのかもしれない。

 

ヨガが深まっていくと、ヨガとストレッチの違いを身を以て知るようになるだろう。ヨガは経験哲学といわれるメソッドなので、自分が変わっていくたびに、ヨガというものを少しずつ理解していくようになるとされる。体をほぐして柔らかくすることの先に何があるのか、ヨガは一生つき合えるパートナーと考えてもいいだろう。