検索

心 さまざまな定義づけによってひもとかれてきたヨガのターゲット

ヨガは心を制御するために、それがどんなものなのかずっと探ってきた。そして、さまざまな切り口から心を定義づけている。

 

【心を知ることはヨガの必須科目】

ヨガの目的は解脱だが、そのために本来の自分の存在、それが宇宙そのものであることに 気づく必要を説く。そして、その方法が瞑想 。瞑想をするためには、体と心から意識を離したいのだが、心は揺れ動き、なかなか制御が利かない。そこで、古来、ヨガ行者達は心とはどんなものなのかをずっと探ってきた。さまざまな文献で心は定義され、それぞれ少しずつ異なる解釈を見せる。とは言え、何千年かけても心は捉えづらいが…。いずれにしても、心について知ることは、ヨガを行う者にとっては必須科目なのだ。

 

【5頭立ての馬車】

『カタウパニシャッド』は、心、体、感覚は、人が生きていくための道具であるということを、馬車に例えて教える。一見、馬車を制御しているのは騎手で、この馬車の行方を決めているのは騎手のように思えるが、実は旅の目的地(人生の目的地)を決めているのは、馬車に乗っている主人。馬車がどんなに乱れても、主人はいつでもニコニコと穏やかだ。人生における主人公は「真我=アートマン=プルシャ」であると教えている。

・5頭の馬…五つの感覚器官と具現世界からの刺激を感じる心。

・手綱…意思で馬(五感と心)を制御する。

・騎手…理智で馬車を制御する知性。

・馬車…肉体と生気。

・主人…真我で、人生の主体者を表している。

【『ヨーガ・スートラ』で解説する心】

「ヨガとは心(精神)の働きを

落ち着かせることである

yogas citta-vritti-nirodhah(ヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダ)

 

□心には質がある

心には大別して三つの性質があるとする。三つは誰もが持つもので、その時の思いや環境などで、どれかに偏ってしまう。望ましいのはどこにも偏らず、純粋な状態でいられること。それを「サットヴァ」と言う。

サットヴァ

純粋で穏やか、かつイキイキしている。どこにも偏っていない状態。心の状態としては激しすぎず、緩すぎないサットヴァが理想。

ラジャス

サットヴァ状態に比べるとよりエネルギッシュ。やる気に満ちてイケイケな状態だが、反面激昂し、荒々しいという状態でもある。

タマス

一日の終わりなどまったりしている、穏やかさMAX状態。反面、だる重であり、やる気もなく動きも鈍く、頭の回転なども悪い。

 

□心の質には段階がある

「ヨーガ・チッタ・ブリッティ・ニローダ」のニローダとは、心の質のことを指す。そして、ニローダには五つの段階があるとされる。

1:クシプタ(散乱)…ラジャスが支配している

2:ムーダ(鈍さ)…タマスが支配している

3:ヴィクシプタ(分散)…ラジャスが支配しているが、サットヴァがごくわずかある

4:エーカーグラ(集中)…サットヴァが支配している

5:ニルッダ(停止)…グナの働きがなくなっている状態

 

□心には五つの働きがある

1:理解

正しく理解すること。正しく理解するには自分自身で直接体験するか、聖者や信頼できる人の言葉による。

2:誤解

間違った解釈をすること。色眼鏡や印象から対象をありのままに見ないことや、経験などによる思い込みによって起こる。

3:想像

対象物をイメージすること。ここからクリエイトもできる。しかし、知らないまま印象のみでイメージすると妄想になる。

4:熟睡

しっかりと寝ている状態。何の精神活動もないので、ほぼ苦悩のもとにはならない。

5:記憶

経験をとどめておくことで、楽しい気持ちにもなれるし、その逆にも。記憶違い、思い違い、忘れることなどで振り回される可能性も。

 

□心を揺るがす原因は五つ

1:無知

自分はプルシャ(真我)の存在であり、永遠不滅であるということを知らず、心と体のキャッチするものに振り回されている。

2:エゴ

自分を、認識できる「自分(自意識)」だと思っていること。プルシャは傷ついていないのに、エゴが感じることで振り回される。

3:欲望・執着

快楽体験と「私」を同一視して、期待し、落胆し、憎悪を生む。

4:憎悪

ツラい体験と「私」を同一視し、ほしがっては満たされない…を繰り返す。

5:恐怖

さまざまな恐れ。最大のものは死を恐れ、生へ執着する。これはどんな修行者でも起こり得るとされている。

 

□心の苦悩を取り払うと人生が「ヨガ」になっていく

<ドゥッカ>

クレーシャがあって不快。落ち着かせたい!

<サーダナ>

八支足を実践する。苦悩がたまっている不快な状態から脱出するためには、自分自身を浄化していく必要がある。その手段が八支足だ。八つを行っていくことで、対象をありのまま見ることができるようになっていく。八支足は継続がカギ。

<ヴィブーティ>

自分の中に秘めた特別なパワーが出現!

<ヴィヴェーカ>

明瞭さが現れる。自分は濁ったメガネで自分や世界を見ていたということに気づき、だんだんとクリアになる視界で、ものごとの本質に気づいていく。

<ダルマ>

自分の役割を生きる。ものごとの本質に気づくことで、自分が今生生まれた意味を理解し、その役割に添ってイキイキと生きていくようになる。

<カイヴァリャ>

GOAL。私って真我なんだ! と理解する。自分の役割に添って活動していくと、自分自身の本質が真我であると気づくようになる。それにより世界の理がわかるようになり、真我マインドでして楽しく生きていけるように。

ここまでくるとスッカ(Happy・快)でいっぱい。

【教典によって心の捉え方は異なる】

『ヨーガ・スートラ』、『バガヴァッド・ギーター』、『ウパニシャド』、『タットヴァボータ』では、それぞれ心についての表記が異なる。ここで整理しておこう。

【『マハー・バーラタ』に出てくる“100人の兄弟”も心の比喩】

『バガヴァド・ギーター』の収録されている大叙事詩『マハー・バーラタ』には、主人公が敵対する100人の兄弟が出てくる。この100人の兄弟は、人間の心の混乱を示しているとされる。また、『ラーマーヤナ』という物語では、10 個の頭を持つ王が登場する。10個の頭は、欲望、怒り、執着、貪欲、慢心、妬み、憎しみ、嫉妬、不正直、利己主義。この王は四つの『ヴェーダ』と六つの聖典を持っていたのに扱いきれず、苦しむことになるのだ。

【自分を知らないために起る悪循環】

心が、自分のこと(プルシャ)や、世界の真実(自分は宇宙そのものである)ことについて理解していないために、不満や不安が生まれる。不安や不満から願望が生まれ、願望から行動(カルマ)が生まれ、行動から結果が生まれる。自分に対して理解をしなければ、このサイクルを永遠と繰り返 すことになる。

 

【心を味方にし、育てていく】

心を制御するには、心を知って味方につけたい。方法はさまざまな教典に書かれているが、八支足の実践もその一つ。また、『ヨーガ・スートラ』は「慈/友愛」、「悲/同情」、「喜/称賛」、「捨/捨離」の四つのカギを持つことを勧める。他人の幸福を妬まず祝福する(慈)、不幸な人には同情して手を貸し(悲)、手本を示してくれた人には感謝する(喜)、よこしまな人からは離れてしまう(捨)というように、カギを使うのだ。

また、祈り、与える、奉仕、献身、知足などを通して宇宙の法則に従い、宇宙の理を知る。そうやって自然にハッピーに生きていく(イーシュヴァラと一つになる)ように心を育てていくことも大事。「平和・安 心・満足・リラックス・幸せ・愛の本質が自分自身」ということを知るために心を使い、実践と理解を深めていくのがヨガの実践なのだ。

 

 

監修

谷戸康洋

やとやすひろ。ヨガ哲学、ハタヨガ講師。ヨガスタジオ『fi k a』主宰。生まれ育った山梨・八ヶ岳の環境を生かし、森林療法、自然療法なども取り入れながら、県内外のクラスやイベントでヨガを指導する。

森田尚子

もりたなおこ。『ヨーガ・ヴェーダ協会』代表。クリシュナマチャリアのヨーガ正式指導者(インド政府公認)。ヴェーディック・チャンティング正式指導者。

 

イラスト=macco

 

出典=『Yogini』Vol.71/Vol.83