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ヨガのゴールを目指すために 「欲」について考える

心を扱うからこそ知っておきたい「欲」の話

ヨガの教科書とも言われる『ヨーガスートラ』には、「ヨガとは心の作用を死滅すること」と記されているように、心をどう扱って、コントロールするかというのはヨガの大きなテーマ。

また、この知識がなかったとしても、ヨガに出会い、ひかれた人はヨガが心を落ち着けるのに“利く”と直感的に感じ取ったのではないだろうか?

裏を返せば、それほど心は日々乱れやすく、思い通りにできず、私達を苦しめるものであるということ。この苦しみについて、もう少し解像度を上げて見ていくと、そこには“欲”という存在があることに気づく。

「あれがほしいのに、手に入らない」、「あの人に好きになってほしいのに好かれない」、「社会的地位がほしいのに、うまくいかない」など。考えてみれば、日常で生まれる苦しみの根源には、「〜したい」という欲の感情から始まっていることがほとんどだ。

今回は、ヨガのゴールを目指す上で考えたい「欲」について掘り下げていこう。

 

心理学で考える「欲」の構造

欲に関する見解として有名なのが、心理学の分野で登場する『マズローの欲求五段階説』だ。これはアメリカ合衆国の心理学者、アブラハム・マズローが提唱したもので、欲の構造を五段階に分けて表したもの。

より高次元の欲求に至る人の割合は次第に減るとされ、ピラミッド型で表現される。最も下層に置かれる「生理的欲求」は、人が生き物として生命を維持するための根源的な欲で、いわゆる本能に重なる。

欲求の推移は必ずしも下から順に一段ずつ上がるとは限らず、階層を飛ばしたり、階層をまたいで複雑に絡んだりしながら現れることもあるとされる。借金をしてでもブランドバッグを持ちたいというような場合は、下層に置かれた安全欲求は欠いてでも、より上層の承認欲求を満たしたいというケースだと言える。

また、日本のような国で暮らす人の生理的欲求は基本的に満たされているためか、それ以外の欲求が膨らむ傾向にあり、欲求が複雑に絡み、過剰になったりゆがんだりして出現することも。過食症やアルコール依存症といった、生理的欲求の過剰と見える事象に、愛されたいという欲求や承認欲求、性的欲求の欠乏が隠れていることもある。

そして、第六の段階として晩年のマズローが追加したのが「自己超越の欲求」だ。利己的ではなく利他的な行動により、自分や他人を幸せにしたいという欲求。エゴを超越した哲学的な領域だとされ、ヨガ哲学が目指すところの悟りの境地に似ていて興味深い。

 

欲が生まれる過程を知りその正体と対処法を学ぶ

幸福な経験は心に刻まれ、それに人は執着する。例えば、「おいしいフルーツだな」、「肌触りがいいな」など五感が心地よくなった時、人は幸福を感じる。人から大事にされたり、尊敬されたりした場合は、精神面の幸福で満たされる。

すると、「また食べたいな」、「心を満たしたい」と、人は感覚的な幸福感を再び求める。この感情を、「欲」と呼ぶ。感覚の喜びで人生を楽しむ時、この段階では人に害を与えていない。

しかし、これが欲張りになった結果、「嘘をついて手に入れよう」、「ライバルを陥れよう」と悪質な手段や過程を選んでしまうと、一時的に欲を満たすことはできたとしても、誤った手段や目的を選んでしまっており、結果的に、自分や周囲の人に悪い影響を及ぼすことになる。場合によっては法律に抵触することも。

一方、多くの人は「ムダ遣いを減らして貯金をして買おう」、「努力して、いい結果を出そう」と、欲を満たすために、自分ができる範囲の行動や労力を選ぶ。欲を満たすための行動や労力が自分の限界を超えている場合は、我慢という発想に及ぶのが一般的。

これも悪くないが、ヨガ的な発想では「何を得ることが幸福なのか」、「足るを知るべきである」と、欲が生じた理由、目的、欲の限界、欲がもたらす影響などを考える。その上で、適切な手段を選択していく。

このように、ものごとの本質を考えることで、自分にストレスがかかりにくく、周囲の人にも迷惑をかけない。また、欲との向き合い方の理解が深まるのだ。ぜひ、今この瞬間から実践してみてほしい。

 

文=Yogini編集部