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プラーナ すべてのものはこれがもと。生命エネルギー

ヨガをしているとよう出てくる言葉「プラーナ」。日本語では「生命エネルギー」と言われ、東洋医学の「気」に似ているとも。では、ヨガではどういうものと考えているのだろうか。

 

プラーナとは?

 

日本語で言うと「生命エネルギー」や「力」などと言い、「気」とも。太陽の光も熱も空気も酸素も、水もすべての力を指す。また私達の体もすべてプラーナでできている。目に見えるもの、見えないものすべてがプラーナから生まれたものだ。

ここに二つのニンジンがあると仮定する。一つは採れたての新鮮なもの。もう一つは一昨日収穫したもの。見た目だけでなく雰囲気も含め、私達は何かが違うと感じる。新鮮なニンジンにはイキイキ感を感じるが、これはプラーナが満ちている状態だから。もう一方はプラーナはあるものの、満ちていないためにしおれていることになる。

また、ヨガでは神と結ぶことを、プラーナを通じて行っていると考える。ヨガは呼吸抜きでは語れないけれど、ここで言う呼吸とは「空気中から酸素を取り入れて炭酸ガスを出すこと」とは違う。これではプラーナの概念が欠如しているからだ。「私を生かしている、この空気を肺のすみずみまで送るんだ、ありがたいな」という気持ちで深く息を吸い、「老廃物や炭酸ガスを全部出すんだ」と息を吐く。同じポーズをしても、この心の在り方で効果は違ってくる。心が動いたところにプラーナは動く。

アーユルヴェーダでは、プラーナを「方向性を決める生命エネルギーであり、肉体を維持するモーター的な存在」としている。心の性質を「トリグナ」と言い、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(惰質)の三つに分けるが、この構成のもとがプラーナだ。

さらに、私達が生きていく上で不可欠な三大生命エネルギー、オージャス、テージャス、プラーナの一つでもある。プラーナの動きによって、オージャスとテージャスの働きが過多になったり、不足したりする。プラーナは根源的な存在。

 

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アーユルヴェーダでは体質を、ヴァータ(風)、ピッタ(火)、カパ(水)の三つに分類しいたトリドーシャで表し、各ドーシャは五つのサブドーシャを持つと考える。それらをパンチャプラーナ(五気)と呼び、アパーナ、プラーナ。サマーナ、ウダーナ、ヴィヤーナから成り、それぞれにエネルギーの方向性がある。プラーナと下に向くアパーナはお互いが拮抗し、バランスを取っている。

プラーナ=呼吸力

サマーナ=消化・吸収力

アパーナ=排泄力

ヴィヤーナ=循環力

ウダーナ=摂取コントロール力

 

プラーナと人間関係

 

他人と気が合う、合わないという関係も、実はその人に働いているプラーナの影響を受けている。人が発している波動が合えば「波長が合い、気が合う」となる。波動もプラーナだからだ。気が合わない人とも合うようにしていくのは、このプラーナの波長をコントロールすることでできる。苦手な人を苦手で終わらせてしまえば、心の栄養にならないからだ。

プラーナ力は心の栄養力でもある。苦手なあの人は他人にとってはいい人だったりする。その人の見方も自分の中に取り入れてみる。そうすると、いい部分が見えてくるだろう。心の幅広さは体験を通じて得られるもの。

 

三大生命エネルギーはすべての源

 

プラーナの三要素、プラーナ、オージャス、テージャス。オージャスは免疫系エネルギーで内側から出てくるキラキラした、若々しさ。生殖器、細胞に関係する。テージャスは火のエネルギーで、活力や気力などを指す。その動きによって興奮を起こしたり、行きすぎると燃え尽きることも。そして、プラーナはすべてであり、呼吸器系や循環器をつかさどる。プラーナの巡りによって、火は燃え、水が流れながら体を調整している。

 

プラーナを医学的に見る

 

パタンジャリの『ヨーガスートラ』では、プラーナは「呼吸」を意味するが、ハタヨガの教典では、呼吸法の実践で目覚め得る「微細な生命エネルギー」という意味が含まれている。これは、生命活動として経験しうるすべての身体機能にかかわるエネルギーで、肉体を動かすもの(心臓の拍動、呼吸、感覚器官からの刺激伝達を含む脳神経系の働きなど)、内面の動きをつかさどるもの(感情、思考の動きなど)まで、すべてを包括すると考えられる。

 

プラーナは変化する

 

年齢を重ねると、経験から得る知恵のプラーナが発達する。老輩は若い人が悩んでいることも、迷いなく選べたりする。肉体からより精神的な脳力へと変化し、年にあった人生の勝負ができるようになる。自分の持っている力を引き出し、エネルギーを高め、コントロールすることがヨガ。知恵のプラーナ力を高めると、100歳になってもバランスの取れたヨガができる。

 

プラーナは意識で動く

 

例えば、どこかに視点を動かした場合、プラーナはそこに集中する。ホームで二分後に到着する電車を待っていたとして、携帯電話に集中していたら、電車が到着しても気がつかないことがある。これはメンタルにプラーナが集中しすぎて、体の反応が鈍くなったということ。逆に、体ばかりにプラーナを向けていたら心が追いついてこない、ということも起こる。

 

プラーナと肉体の関係

 

『カタウパニシャド』では肉内や精神の関係を、馬車に例えている。あえて現代風に言い換えるなら、自動車に例えるといいだろう。自動車は運転手がいなかったり、ガソリンがないと走らない。肉体も同じで、運転手=自我・理性・心、車体=肉体、ハンドル/ブレーキ/アクセル/ペダル=思考器官、プラーナ=ガソリン(動かすエネルギー)だ。

車体の手入れは運転手が行わなければいけない。また、運転手とは別に、魂(真我)に当たる本当のオーナーがいる。目的地を指し示すのがオーナーだが、オーナーは直接運転はしない、運転がいくら上手でも、オーナーの意志と違った運転をしてしまうと、人間として生まれた価値を実現する目的地にはたどり着かない。

自分がオーナーだと思っている運転手がほとんどだろう。自我を自分と思っているのと、本当の魂(オーナー)があると気づいているのとでは、生き方が違ってくる。人生には泥沼もあれば坂道もある。道で起こるあらゆる出来事は、よりよく運転ができるようになるために与えられたチャンス。すなわち、人生を生きるための学び。

 

プラーナと心の関係

 

ヨガでは「そう見るから、そう見えるのだ」と、すべては自分のものの見方に影響されることを強調している。「世の中は天国だ」という人もいれば、「地獄だ」と言う人もいる。同じものを見てどう感じるかは、その人の心次第。幸せになるものの感じ方・見方を育てるというのは、つまり心の消化力、栄養力をつけるということ。幸福を見いだせる心は、心のプラーナ力があるということだ。

 

プラーナとアーサナ(ポーズ)

 

プラーナーヤーマ(呼吸法・生気コントロール法)をするには、アーサナで心身を整えておく必要がある、アーサナの役割は肉体だけで説明するとズレてくる。気の体でプラーナーヤーマがきちんとできるように整えるのがアーサナ。意識を集中しながら、ポーズと呼吸を連動させなければヨガにならない。

あらゆる筋肉群が深い呼吸運動をジャマしないように持って行くのが、アーサナの役割。生きているということは呼吸をしているということなので、アーサナをすると生きることが楽になると言えるだろう。

アーサナは肉体と気の体、精神体の全体に影響をしている。太陽礼拝は、太陽エネルギーという自分を生かしている中心的プラーナの力を、最大限に高める東洋の発明だ。心に感謝と祈りを持って行おう。

アーサナをプラーナを意識しながら行うと、結果はシャヴァーサナに現れる。全身の細胞が一体になって呼吸をしていることに気づくようになる。同時にリラックスする脳力が高まり、心身の緊張からの解放を感じるようになる。呼吸が肉体内で完結せず、自然や空間と一体と感じられる連動力や瞑想の準備になる。

 

プラーナを巡らせるヨガの実践

 

ここからはプラーナを巡らせるヨガの実践方法を確認しよう。

 

01 プラーナが巡っている

アーサナが深まっている時、動きは静止しているが、体の中ではエネルギーが巡っている。そのために背骨が伸び、背骨の椎骨一つひとつにスペースができていることが大前提だ。そこに呼吸が伴っていれば、プラーナ=エネルギーは巡っている状態と言える。

さらに、腕や脚がどこの位置にある時も、へそから脚が伸び、胸から腕が伸びているようなイメージでポーズを取ると、背骨を中心にプラーナが広がっていきやすい。背骨をねじるポーズでは、ねじっている時よりも、ポーズを終えて体を戻した時にエネルギーが勢いよく流れ始める。体の中心から外へとプラーナをフローさせたら、次は、外から内へと入り込んでくるような流れを味わいたい。

 

02 形が整っている

アーサナを取る目的は形の美しさではない。かといって、形をまったく気にしなくていいかというとそうではない。「ファッションでもその人にしかできない表現があるように、人にとって美しさやきれいさというものはなくてはならない大事なもの」(ケン先生)。背骨や内臓、呼吸など基本の部分でアーサナを味わうことができたら、自分なりの美しさやオリジナリティにも目を向けていきたい。ただし、体にダメージを与えるような無理をしたきれいさには意味がないことも忘れてはいけない。

 

03 体のどこにもダメージがない

例えば、前屈の練習でどんどん太モモが痛くなっているのに無理をして深め続けたり、ねじりのポーズを強引に深めて、筋肉を逆に緊張させたりといった頑張りは意味がない。キツい姿勢で呼吸が止まったり、呼吸が乱れているのに耐え続けていることも同様。プラーナがフローしないので、体にはかえってダメージを与える。アーサナは頑張るもの、という概念を捨てよう。

 

04 集中と瞑想を使い分けている

最初は自分がアーサナへ向かっていた「アーサナへ行く」意識から、アーサナが自分へ向かってくるような「アーサナがくる」意識へと変えていく。アーサナの最初は、四肢の関節や末端など一つの部分に意識を集中する。この時、その部位だけに意識を向け“点”だけを見るのではなく、体の中心からその部位を動かそうと“面”に意識を集中させる。

すべての部位が整ったらリラックスして、全体を眺める練習をしていく。「例えるなら、集中してパンを見る、パンから自分のほうへ向かってくる(=食べる)、食べるとパンが自分に同化する。これが八支足のダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)です。最終的にアーサナ全体を味わう時間を残すために、各部位を整えるプロセスを、できるだけ短くしていきましょう」(ケン先生)。

 

プラーナとナーディー

 

体内を通るプラーナには通り道があり、それをナーディーと言う。合計7万2000本あるとされ、それぞれをプラーナがスムーズに巡っているのが望ましい。ナーディーの中でも最も重要なものが、背骨に沿ってあるスシュムナーナーディー。そして、各チャクラで交差し経由しながらスシュムナーをサポートしている2本であるピンガラーナーディーとイダーナーディーとピンガラーナーディーだ。ピンガラーは右、イダーは左にあたり、ハタ(陰陽)に照らし合わせた場合は、ピンガラーが「ハ」で太陽、イダーが「タ」で月。

スシュムナーナーディーはナーディーの中でも最重要な管。背骨に沿ってあり、スシュムナーナーディー上に主要なチャクラが七つ並ぶ。スシュムナー上には、バンダと呼ばれるプラーナの関所にような場所もある。会陰のあたりにムーラバンダ、みぞおちのあたりにウディヤナバンダ、ノドのあたりにジャーランダラバンダだ。アーサナを行う際に、各バンダを用いてプラーナを充実させる。

ピンガラーナーディーは、第1チャクラから始まり、右の鼻の穴に収まる。別名「スーリャーナーディー(太陽の気道)」と呼ばれる。

イダーナーディーは第1チャクラから始まり、左の鼻の穴に収まる。別名を「チャンドラナーディー(月の気道)」と呼ばれる。

 

プラーナとチャクラ

 

チャクラは背骨にそって主要な七つが並び、体内と体外のエネルギー交換をする中継センターだ。チャクラは回転しているとされるが、この回転の仕方が各場所によって適切でないと、心身に不調をもたらす。そして、適切な回転を促すのがプラーナが巡っていることだ。プラーナの巡りが滞ると、チャクラの働きが弱まる。例えば胸のチャクラ(アナーハタチャクラ)が不活性化すると、心が閉じがちになり思いやりが持てなくなったり、ネガティブな発想ばかりをしてしまいがちになったりする。

チャクラに適切にプラーナを巡らせることに重きを置いているヨガがクンダリーニヨガで、各チャクラごとにアーサナがある。

 

教えてくれた人

龍村修

たつむらおさむ。『龍村ヨガ研究所』所長。『NPO法人沖ヨガ協会』理事長。求道ヨガと呼ばれる沖ヨガを、日本のみならず世界へ広めている。深い実践をベースにし「生きる」という視点から語り教えるヨガに魅了されるファンが激増。

福田真理

ふくだまり。『米国ナショナル・アーユルヴェーディック・メディカル協会』のプロフェッショナル・プラクティショナー。『Academy of Ayurveda』ではプラクティショナー育成とカウンセリングを行う。

斉藤素子

さいとうもとこ。『Yoga & Wellness Chandra』主宰。『カイヴァルヤダーマ・ヨーガ研究所』所長のシュリO.P.ティワリに師事。福井赤十字病院外科・岐阜市民病院女性外来非常勤医師。緩和ケアを中心にヨーガとアーユルヴェーダの知識と経験を生かし活動中。

ケン・ハラクマ

『ICY』主宰。日本ヨガ界の第一人者。アシュタンガヨガ創始者であるシュリ・K・パタビジョイス氏より、直接指導資格を授かる。アシュタンガヨガを日本に広め、ヨガの可能性を、さまざまな形で発信している。著名人の生徒も多い。