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バガヴァッド・ギーター インドの国民的な物語 にはどんな教えが書かれているのか

これを読めば“世界のあらゆる知識”が学べると言われる、すごい物語。だけど難しい…。 インド人の愛読書で、駅の売店でも売っているという不思議な親近感がある一冊。 初めて読む人も、読むのに挫折した人も、ここで基本を学んでみよう。

 

世界一長い物語の一番濃い場面

世界最古の戦記『マハーバーラタ』(全16巻)は、バラタ王族同士の戦いをテーマにした、壮大な叙事詩。『バガヴァッドギーター』はこの第6巻目を抜粋したもので、バガヴァッドは“バガヴァーン(知識のある聖者、神)”、ギータは“ポエム、詩”と訳される。神による詩であり、神について書かれた詩でもある。全18章700節の詩編から構成され、ポエムのように美しく感動的な表現で書かれている。

神クリシュナと、王子アルジュナの対話形式で物語が紡がれていき、作者は『ヴェーダ』を書いたことでも有名な聖者ヴィヤーサ。『バガヴァッドギーター』は、戦場で親族同士が権力争いをするシーンから始まる。親族と戦わなければいけない極限状態のアルジュナの前に、馬車の御者に扮した神クリシュナが現れた。

クリシュナが説く世界の真理によって、アルジュナは苦難に打ち勝ち、自由・解放(モークシャ)への道を歩む。原型の『マハーバーラタ』は歴史小説のような要素で、 その中の『バガヴァッドギーター』はサーンキャ哲学、ヨガ、ヴェーダーンタの知恵が盛り込まれ、ヴィヤーサの伝えたいエッセンスが凝縮していた。そのため独立した形になる。

 

天才ヴィヤーサの狙いとは?

多くの解説者がこの本について、それぞれの見解を解説する本を出しているが、いろいろ な思想、哲学を盛り込むことで、一つひとつの詩に幅広い意図を持たせている。その結果、 誰が読んでも「これは自分のための本だ!」と思えるように作られた。さらに、実際にあ

った戦争をモチーフにした話題性や、主人公のアルジュナが苦悩しながら成長していく姿 を自分に投影させ、楽しみながら深い知恵を学べる仕組みも手伝い、『バガヴァッドギー ター』は国や宗教を超えて、世界的な大ベストセラーになった。

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『マハーバーラタ』は“世界で一番長い本”と呼ばれており、聖書の4倍の長さ、10万詩節から構成された超大作だ。そのため、日本語の翻訳はまだ終わっていないのだとか…。

 

混乱しやすいのがキャラクター設定。主な人物を押さえながら物語全体像を把握しよう。

ヒンドゥー三大神

ブランハー/創造神

ヴィシュヌ/維持神

シヴァ/破壊神

ヴィシュヌ(維持神)の化身。パーンダヴァ5兄弟の従兄弟。アルジュナを乗せた馬車の御者として戦場におもむき、悩めるアルジュナに教えを説く。

 

Q:物語の中でクリシュナは、「バガヴァーン」や「ゴーヴィンダ」など、いろいろな名前で呼ばれるのはなぜ?
A:クリシュナはヴィシュヌの化身。ヴィシュヌは地上に現れる時、いろいろな化身に姿を変えるので、たくさんの名前を持つ。実は、ヒンドゥー教の三大神を代表とした、多種多様な神々の要素のすべては、ヴィシュヌの中に入っている。そのシーンが第11章の中にあり、神を見る目を与えられたアルジュナは、クリシュナの中に、いろいろな神々の姿“宇宙的形相”を目撃する。この衝撃で、アルジュナは神にひれ伏し、信じる力とともに戦いに挑んだのだ

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聖者、天才と称された作者ヴィヤーサは、ヨガやサーンキャに精通していた。ちなみに、ヨガのバイブル『ヨーガ スートラ』を書いた、聖者パタンジャリとも交友があったと考えられている

 

Q:そもそも。なぜ、アルジュナにはクリシュナ(神)の教えを受ける権利があったの?
A:人が変わるのは、壁にぶつかる時。親族を殺さなければいけないという、極限状態にいたアルジュナは、変わるための準備ができていたことを表している。そこで、手綱遣いの名手でもあるクリシュナは、アルジュナを乗せる馬車の御者に名乗りでた。

4頭の馬と馬車が象徴するもの

物語を描いた有名なシーンで、4頭の白い馬の引かれた馬車に乗り、戦いに挑むアルジュナとクリシュナの姿がある。ここには多くの意味が込められていて、4 頭の馬は、聴覚、視覚、味覚、嗅覚の四つの器官で、馬車全体が触覚。馬と馬車を合わせることで、肉体と五感を表現した。馬の手綱は「マナス(心)」で五感とつながり、手綱を操作する御者、クリシュナは「ブッディ(知性)」。アルジュナは主体の「プルシャ(真我)」だ。馬車が走る地面は、対象としての外側の世界。馬車は目指すゴール「モクシャ(自由)」に向かう。

 

馬車を乗りこなすということ

馬車を走らせなければ道の状態がわからないように、戦場に行くことで、アルジュナは苦悩を知った。これは“行動しないと何もわからず、知識もつかない”という教え。また、ヨガ的な見方をすると、アーサナやプラティヤーハーラ(感覚制御)などの実践を通して、自分の体や五感といった乗り物を洗練させながら、前進していくことが大切。人間の存在と構造を馬と馬車に見立て、ゴールに向かうための方法を教えているのだ。

 

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アルジュナはクリシュナと従兄弟同士。親戚に馬車引きをお願いしたら、実は、相手が神だったという設定。アルジュナの準備ができたことで、次第に神の本性を表してきた。

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自由になるには選択がある。作者ヴィヤーサが込めたメッセージとは、ヴィヤーサが言いたかったのは、“ゴール(自由)に行くためには選択があるということ。

 

クリシュナが導いたステップは、主に次の三つ。ヨガのベースになっているサーンキャ哲 学の「知識のヨガ」、神を信じるヴェーダーンタの教え「献身のヨガ」、そして、八支則を実践していく「瞑想のヨガ」。つまり、ゴールへ向かうためには、知識を得ることから入ることもできるし、ヨガのプラクティスという鍛錬からでもいい。または神に祈る、ヴェーダーンタを勉強するのもあり。サーンキャ哲学、ヨガ、ヴェーダーンタはすべて、ヴェーダの中にある知識。そのため『バガヴァッドギーター』はヴェーダの本と言われる。

サーンキャ哲学の「知識のヨガ」

サーンキャ

物質の三つの性質(サットヴァ、ラジャス、タマス)や、世界の仕組みは何かを考える、物理学のようなもの。プルシャとプラクリティという二つの特性を理解し、知識でゴールへ向かう。

神を信じるヴェーダーンタの教え「献身のヨガ」

ヴェーダーンタ

“この世界は神だ、ブランハーだ”というコンセプト。自分の中にも神聖 な要素(内なる神)があり、それと合わさることが目的だ。プルシャという、本当の自分とつながるのがゴール。

八支足を実践していく「瞑想のヨガ」

ヴェーダ

世界最古の書物で、この世のすべて書かれている。あらゆるものの源となる知識の宝庫で、インドを支える思想哲学。ヨガ哲学もヴェーダの中の一つで、ヴェーダによって支えられている。

立ち去るか、それとも役割を果たすのか

アルジュナにはもう一つ、大きな選択があった。それは戦場で戦うか、立ち去るか。出家して、戦いも王子の身分も捨てることもできたが、アルジュナは戦場に残った。私達は義務や役割(ダルマ)を捨てることもできる。けれど、役割の中でどうやって成長していくか、それが重要なテーマなのだ。

また、ヴィヤーサは行動の質についても触れている。“結果を求めずに行動する”。結果には執着しないで、アクションを純粋にしていく。自分のやるべき行動に集中したら、あとは神のみぞ知ること。

Point

結果を求めず、自分の役割を純粋に行えば苦しみから解放されて、自由になる。そのためには、いろいろな選択がある。

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現代のビジネス書などに多く見られる、神や師との問答によって物語が進み、学びを深めていくというスタイルの原型は『バガヴァッドギーター』だと言われる。

物語のエッセンス

6章23節

duhka samyoga viyogah

(ドゥッカ サムヨーガ ヴィヨーガ)

ヨガを定義するフレーズ。ドゥッカは“苦しみ”、サムヨーガは“くっついている状態”、ヴィヨーガは“離れなさい”の意味。直訳すると「苦しみから離れなさい」。ヨガは自分にとって快適で、つながるべきものは何かを常に考え、アクションをすること。

6章33節

Sthitim Sthiram

(スティティム  スティラム)

スティティムは“安定”、スティラムは“真剣に、集中する、努力する”。ヨガの実践は、マインドを安定させること。真剣に集中して、意識的に続けようと言っている。実は、『ヨーガスートラ』の第2章49節にも同じようなことが書かれている。6章23節と同様、ヨガのベースになっている考え方。

6章1節

anasritah karmaphalam karyam karma karoti yah

(アナーシュリタハ カルマパラン カールヤム カルマ カローティ ヤハ)

『バガヴァッドギーター』の代表的な言葉。 “行動の結果に執着せずに、行動するのがヨギーだ”。

4章39/40節

sraddha

(シュラッダー)

シュラッダーは“信じる、信じる力”という考え方で、ヴェーダの中で重要な コンセプト。39節:シュラッダーがないと学びにならない。40節:シュラッダーがないと滅びる(幸せにならない)。私達は信じたものでできており、何をどのくらい信じるかで現実が変わる。信念がなければヨガの道は進めない

4章29/30節

apane juhrati pranam pranepanam tatha pare pranapanagati ruddhva pranayamapara yanah.29.

アパーネ ジュフヴァディ プラーナム プラーネ アパーナン タターパレー プラーナ アパーナガティ ルッドゥヴァー プラーナーヤーマパラーヤナーハ

apare niyataharah pranaan pranesu juhvati sarvepyete yajnavido yajnaksapitakalmasah.30

アパレー ニヤターハーラーハ プラーナン プラーネーシュ ジュフヴァティ サルヴェーピューテー ヤグニャーヴィドー ヤグニャークシャピタカルマサーハ

プラーナーヤーマ、呼吸法について。プラーナがアパーナに捧げられ(吸気)、 アパーナがプラーナに捧げられる(呼気)。そして、息を止める(クンバカ) ことは静けさをもって行われる。一つひとつの呼吸を、神様に捧げるように行えば、マインドが変わる。プラーナを宝物のように扱った美しい表現。

 

思想を超えて長年愛されるベストセラー

『バガヴァッドギーター』は、読む人の捉え方や、何を信仰するかで役割が変わる。歴史小説的でありながら、ヒンドゥー教徒にはバイブル。ヴェーダーンタを学ぶ人にはヴェーダーンタの本として読めるし、ヨギーにも大切な教えがある。それなのに、駅の売店でも買えるという気軽さもあり、“インド人は読むべき本”という、国民的な立ち位置の一冊。

 

ヴァルナ(カースト)という役割

『バガヴァッドギーター』を理解する上で、インド独特の思想、「ヴァルナ」について理解しておきたい。インドの「ヴァルナ」とは、例えば、食堂で働く人は食事を作り、郵便配 達員は手紙を運び、寺の人は神事を行うというように、それぞれ“役割が違うもの”と考えている。物語の中で、「魂が肉体を離れる時、神を思えば、来世でいい身分の人に生まれ変わる」というくだりがあるが、現代のインドでもいい行いをして自分の役割を全うすれば、来世ではよりよい階級に生まれ変わると信じている。そのため、インドの人達はこの本を読むことで知恵を磨き、来世に願いを込める。救いの書でもあるのだ。

 

Q:アルジュナの苦悩のもとになった「ダルマ(義務)」とは?
A:アルジュナのダルマは王族であり、王族は戦うのが役割であり義務。アルジュナは自分の生まれ持った、“王族として戦う”というダルマを行うために、受け入れるしかない。ここで重要なのは、戦争の勝ち負けではなく、王族としての役割を果たすこと。これがインドならではの考え方。

人生は選択だらけ! 物語の知恵を生かすためには?

インドとは違うカルチャーを持つ私達が、この本の教えを生かすとしたら、どんな風に捉えればいいのだろう。例えば、会社の上司に「飲みに行こう」と誘われた。帰って家族と過ごしたいと思う自分と、断って上司に嫌われたら出世できないかもしれない、と悩む自分がいる。そこで、自分のダルマは何だろうと考える。家族が大切なのか、それとも仕事なのか。自分で選択して、カルマとして行動していけばいい。出世=邪念と捉えがちだが、仕事を頑張った結果、出世してお金が入ると家族が豊かになり、会社にもいい流れが生まれるかもしれない。

自分がすべき役割は何かを考え、自分の成長や周りの人の幸せを願いながら、行動を純粋にしていくことが大切。人生は悩ましい選択だらけ。しかし、私達にはヴァルナがないから、ダルマをチョイスできまる。自分がどうしたいかを考えながら、自分と向き合うのが本質をわかっている人。あとは、ものごとの取り組み方や生きる姿勢も大切。悩みながらも逃げずに、馬車をグレードアップさせながら前進していく。それをチョイスすることも大切なテーマだ。

 

イラスト=ひおきあやか  文=村上華子

監修=森田尚子

もりたなおこ。クリシュナマチャリアの教 え正式指導者。マンツーマンのプライベー トクラスが中心のヨーガスペース「ヨーガ ・チャクラ」主宰。’12 年よりロータスエイ ト指導者養成講座のメイン講師も務める