
非暴力で闘った偉人達の話
どんな苦難に満ちた状況にあっても決して暴力に向かわない。それは諦めることではなく何よりも強い抵抗、そして平和への一歩だ。
日常におけるコミュニケーションも然りだ。わかってはいるけれど、ついつい感情的に暴力的な言葉を発してしまう人もいるだろう。
今回は、非暴力で戦い世界中から尊敬を集めた偉人たちを紹介。彼らの懐と愛の深さに感銘を受けること間違いなしだ。
マハトマ・ガンディ
非暴力と言えばガンディ。非暴力の抵抗、不服従の意思表示という考えが、どうして世界中に広まったのか知っているだろうか。
その名を一躍有名にしたのは、「塩の行進」だろう。これは、インドがイギリスから独立するため、反暴力、不服従で、反英闘争を繰り広げていた彼が中心となって、400㎞を歩いたデモ行進。当時、塩はイギリス政府が専売し、インド人は作るのも売るのも違法だった。それに抗議し、塩を作るまでの道程だった。
ガンディとその支持者達は、塩を作らせまいとするイギリス官憲に警棒を振るわれ、流血しながらも、抵抗せずに作業を続けた。その姿が全世界に報道され、驚きを持って、彼の名と、非暴力と不服従という信念、考え方が広く知られるようになったのだ。それが後のインド独立につながっていく。
キング牧師
非暴力は、無抵抗ではなく、社会を変えるための抵抗。それは、大変な勇気を必要とする闘いだ。
1929年に米国ジョージア州で生まれた彼は、成長するまでに数々の黒人差別を経験した。そして大学生になった時、ガンディの非暴力という考え方を知り、自分の闘い方を悟ったのだ。
最初は、黒人を差別するバスに乗るのをやめよう! という、公民権運動では初めての、一般市民を巻き込んだものだった。これが功を奏し、バスでの人種差別は違憲という判決を勝ち取った。
この後も座り込みやデモなど、徹底した非暴力の運動を行う。その際、警察側からの警察犬をけしかけたり、水をかけられたりといった暴力に対して、あくまでも非暴力で抵抗。そのようすはメディアにより発信され、アメリカの世論を味方につけた。
ダライ・ラマ
1989年、ノーベル平和賞を受賞した後も平和のための壮絶な闘いはずっと続いている。
「ダライ・ラマ」とはチベット仏教の最高位を表すもので、現在のダライ・ラマは14代目となる。第二次世界大戦後、中国の侵攻を受けたチベットは、多数の犠牲者を出した。
その間もずっと、非暴力での平和への模索を訴えてきたダライ・ラマへの弾圧は激しさを増し、とうとう彼はインドに逃れ、亡命政権を樹立することになった。
チベット全土は、その後も中国の支配による、過酷な仕打ちを受け続けている。チベット人の抗議デモ、それに対して中国の苛烈極まる弾圧、現在もその繰り返しだ。ダライ・ラマはどんな時にも一貫して、暴力はいけないということを訴え続けている。その高潔さに世界は感銘を受けている。
スワミ・シバナンダ
彼は六つのシンプルなメッセージを送る。「奉仕しなさい、愛しなさい、与えなさい、浄化しなさい、瞑想しなさい、悟りなさい。」
シバナンダヨガの創始者、後に偉大なヨギーとなるシバナンダは、若いころから「奉仕する人」だった。そのために医師となり、マレーシアで貧しい人、病める人を多く救ってきた。
その後、体だけでなく精神の救済を考えるようになり、インドに戻ってヨガの修行を始める。シバナンダの教えは、非暴力(アヒンサー)を重要視している。「アヒンサーのあるところにのみ、愛と無私の奉仕と真実がある」と言い、これを伝えるために、300冊近くに上る書を著している。多くが英語で書かれているため、広く世界で読まれている。
彼の人生は自身の六つのメッセージを体現したものだった。それ自体が“奇跡”と言えるだろう。
文=Yogini編集部