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心理学者のユングがヨガから見つけた心と意識

西洋と東洋の心理

 

スイスの精神科医、心理学者として名高いカール・グフタス・ユング(1875〜1961)は、心理を追求している中で、東洋の考え方に興味を持ち、研究していた。彼はヨーロッパに『チベット死者の書』や『黄金の華のヒミツ』、禅僧・鈴木大拙の『禅仏教入門』などを紹介し、自らインドへ赴いたりしている。

ユングは東洋的な哲学の概念や、宗教的なイメージは(当時の)西洋にはないものとして魅力を感じていた。それらの概念を心理学的用語に変換して、西洋にあるものと比較しようと試み、東洋的な“自分とのつき合い方”の中に、深い心理に入っていくための方法を見つけていた。

 

西洋人にとって自分を見つめるのは危険?

「われわれ西洋人はほんの限られたイエズス会の『霊操』の応用を除いて、ヨガに相応するものは何一つ生み出していない。あの戦慄である個人無意識に対して底知れぬ恐れを持っている。(中略)全体の進歩からはじまるという考え方は、私も含めヨーロッパ人の間にはなかった。そのうえ、多くの人が、自分の内面をのぞくことは病的であると思っている。ある神学者はそれは人を憂鬱にすると私に請け合った」(『瞑想とユング心理学』創元社)

なぜなら、“無意識”に光を当ててしまうと、人はまず混乱する。“無意識”の中には、忘れてしまいたいことや、自分でも他人にも触れられたくないものがしまわれているからだ。そして、それを見ないほうがうまく生きられると考えていた。

ヨガは暗闇を照らして、暗闇を通り抜けようとする。それはヨーロッパ人には困難なこと。だから、簡単にヨガには触れるな、とも言っていた。魅力を感じながら、大いに惹かれながら、一方でそこへ踏み込んでいく怖さを、多くのクライエントとの対話の中で十分に理解していたからだろう。

 

チャクラから見えるもの

 

中でも深く研究していたのがクンダリーニヨガだった。ムーラーダーラーチャクラからサハスラーラチャクラまで、それぞれに心理があるとして、心理学の見地から解説している。

「諸々のチャクラは、一般に、人間の意識のさまざまな段階を示す象徴です」(『クンダリニー・ヨーガの心理学』(創元社))

「あなたがマニプーラ・チャクラにいるときには、そこに葛藤はない。なぜなら、あなたが葛藤そのものだからである。(中略)もしあなたに感情が起これば、理解するのは自分ではなく感情なのである」(『瞑想とユング心理学』)

今チャクラのどこに自分がいるかによって、その情動に起こることを判断していく。それはヨガをする私達には、それほど理解しがたいことではないかもしれない。チャクラの一つひとつが、体と心へ影響を及ぼすことを感覚的にわかっているからだ(あるいは、感じ取ることができるから)。

 

心と体と自然を同時に話す

 

また、おもしろい見方として、こんなこともユングは言っている。

「ムーラーダーラには、夜の太陽があります。そして横隔膜のもとには日の出があるのです。アナーハタからはじまる上位の諸センターは、正午から日没までの変化を象徴します。太陽の一日とは、クンダリニーの歩みーー上昇と下降――のことであり、精神的【霊的】諸兆候を伴う進化と退化なのです。太陽の軌跡は、人生の軌跡とそっくりです」(『クンダリニー・ヨーガの心理学』)

心と体と自然とを同じ土俵で語っているのは共感できるところだ。そして、感覚的にはなんとなく理解できる(説明するとなると難しいが…)。ユングの分析がこうした概念のもとに行われるなら、心理相談をしてみて、どんな答えが返ってくるのか受けてみたかったと思う。

 

マンダラの中心にある自我

 

ユングはセルフ(自己)」ということを言っている。これはヨガでいう真我(プルシャ、アートマン)のことだ。自我(エゴ)と使い分け、セルフを宇宙全体のことだと言っている。そしてマンダラはセルフを現しているものだとし、それに気づいた時、「究極のものを得たと知った」と語った。

ユングには集合的無意識という概念もある。これはかなり大雑把に解釈すると、潜在意識の深いところでは、すべてがつながっているという考え方。この考え方もまさにヨガと同様と言っていいだろう。

ユングがヨガなど東洋的な哲学と出会ってたどり着いた場所は、その膨大な見えない世界にある真我なのかもしれない。

 

出典:『Yogini』Vol.50